Pink Ribbon Talk Show

ピンクリボントークショー
~女性の美と健康のために~

2012/11/1 at SPORTIFE Cafe

まっ、近所だし。歩いて、すぐの場所だしね。
せっかくお誘いのだったので、参加してみることにしました。
11月1日が日曜日だと勘違いして、okの返事をした後に、
その日は、木曜日だと気がついたり。

世の中、本当によくできている。

お誘いを受けたのは、だいぶ前。
でも、その時は、11月には何か、仕事をしているはず。

まっ、大丈夫でしょう。
仕事先には、この日は、どうしても、とか理由を言って。。
頭の中は、どうでもいい余計な思考が
ぐるぐる~

そう、まだ、この約1ヶ月、
ずっと、私は家にいるのです。

完全に大丈夫だったのです。

先の未来のわからない心配ほど、
無駄な時間は、ないのに。

なんど、このことを経験してるのか。。




軽い気持ちで、会場へ。
なんか、ティーセットもあるっていうしね。


ところが、会場は、
普段は、ランチやティータイムを利用しているものの、
いつものスポーティフカフェさんとは、何か
雰囲気が違っていました。

女性ばかり。
当たり前か。


なんかエネルギーが、明るくて、
強い感じで、新鮮で。

そんな感じを受けました。

私の場合は、”乳がん” のことを真剣に考えたことは、
なかったけれど、
いったい、今日のこの会場で、
私は、何を感じるのかな?そんな気持ちでした。



3人の先生がおひとり、30分ずつ、お話。
そして、司会進行の方もスタッフで乳がんの手術経験者とあり、
とても興味深い話を間に入れながらの流れでした。




『そして、どうぞ、みなさん、ここで、聞いたことをどんどん、
知り合いの方などにお話しをして下さい。』


そんなふうに、3人目の先生は途中で、おっしゃいました。


なので、私は、このブログの場所で、
よろこんで、私が感動したこと、
感じたことを自由に書きたいと思います。




お一人目の渡辺久美子先生は、乳腺外科医。

バリバリの西洋医学の外科医だった当時は、
「がん?じゃ、それは、手術。その次は抗がん剤に
決まってるでしょう。」

そういった、考え方だった彼女。
現在は、患者さんに、
選択の幅をたくさん与えていらっしゃる。
患者さんの考えていること、思っていることを
よく聞いたうえで、抗がん剤の有無、
それに代わる、代替療法を提案。
レイキ、アロマ、食事、そのほか、ありとあらゆるものを
女性の立場で、患者さんと真剣に向かい合っている。

世の中、こんなにも素敵な先生が、いらっしゃったなんて。

でも、彼女をそうさせるまでには、
乳がんで亡くなっていったご友人がいらしたから。

そしてその友人は、抗がん剤を拒否し、
自ら、最後の人生を余命5カ月と宣告をうけながら、
1年8カ月となったそうです。
その彼女がしたことは、
レイキを学んだり、食事はマクロビにしたり、
世界のパワースポットに旅行に行ったりと、
神への探求という本を読んだり。。
抗がん剤を受けていれば副作用で
できなかったことを、
彼女なりに努力をして、自分の可能性を
たくさん日々、実行していたそうです。

それでも、当時の先生には理解不能だったそうです。
けれど、
「抗がん剤」が当然と思っていたことを
抗がん剤を受け入れなかった彼女は、
死ぬ直前まで、自分の考えで生き抜いた。
そのことを考えるようになってから、
彼女がやっていたことを自分もやってみようと、
レイキ、気功、など、本も同じものを読んでみたりと
それからは、
生き方が根底から変わったそうです。

わたしが個人的に先生のお話の中で、
強く感じたところ。

もし、"これ食べると、太っちゃうんだよね~"と頭で思って、
手は、口に食べ物を運ぶと、脳は、その口に入れたものを
異物だと判断します。
たべる時は、”おいしい~!”と喜んで食べてくださいね。」


私は、これで、この口に食べ物を運ぶ時の感覚の話を
つい先日もある、占い師さんに言われたばかり!!
驚きました。


そして、懐かしい。
「きんは100歳。
ぎんも100歳。」

きんさん、ぎんさんのお話もして下さいました。
なんと、みなさんご存知でしたか?
彼女たちは、
90歳をすぎてから、
おむつが取れたそうです!!

これには、私はすごい驚きました。
だって、私のおばあちゃんは、
70歳代後半にはいって、おむつをしだし、
寝たきりになり、そんな現実を見ていて、
心の中で「えっーーー!!」

双子でお年寄りがいると、
マスコミは、取材をしていくうちに、
彼女たちは、取材を受けているうちに、
おむつが外れたそうです。


「これから、お年寄りの面倒を見に行ってきます。」

寝たきりだったきんさん、ぎんさんは
テレビの前で冗談を言うようになったといいます。

人間のもつ、計り知れない力ってすごい!


先生が最後に一言。と
話しだした内容です。

「私は、片道30分歩いて病院に通っていた時期があったのですが、
そのときに、太陽がこう空にあるんですね。
でも、その太陽の光が痛いんです。
そういう時期がありました。なんでこんなに太陽の光が痛いんだろうって、考えました。
そのころ、私は、みんなに太陽のように明るい光を与える存在でありたいと思っていたんですね。

こういうふうに太陽の光をいたく感じるときもある。
いつも、太陽の光ばかりを受けるだけでなく、
木陰が心地よいときだってある。
そっか、私は、時には太陽の光のように、ときには、木陰でも一緒に、
そうやって、両側から寄り添っていけるようになりたい。と。
この毎朝の30分歩いている道のりで、気づかされたんです。



お二人目の先生は、山口雅子先生。

最近は、環境学習指導員の資格も取られたそうです。
彼女は、アメリカで暮らしていた時に乳がんと宣告されたお話を
主にしてくださいました。
なんと、乳がんと宣告される前は、子宮筋腫で子宮を摘出されています。
そして、彼女自身、当時アメリカの病院から
抗がん剤をするかしないかは、本人が決めること。
といわれ、正直、動揺したそうです。
すべてのお医者様の発言したこと、自分が言ったこと、
すべての声をテープに録音したのを
病院から頂いたそうです。
(ここは、アメリカ、裁判のお国柄なのかなと聞いていて思いました。)

そして、抗がん剤をしないで生きている人はどうして
いるのかとありとあらゆる本などを読んで、勉強したそうです。
それで、彼女は、その人たちに共通していることは、
食事を根底から変えている。そこに気付いてからは、
自らの幼少のころからの食事、そのころの時代背景、
日本の高度経済成長の時代には、
ギトギトはっきりした色のお菓子とか、
炭酸飲料をすごい消費していたとか、
化学調味料をどんどん使うことがいいことだとか、
そんな風潮の時代の食べ物と自分の育った家の環境など。

そのころ、気功を始めたり。

最初、自分は何か悪いことでもしたのか?
そんな風に思ったこともあったそうです。
何か、自分が、がんになったことには、原因があったのでは?
自分を掘り下げて見ることになっていったそうです。

そんなころ、乳がんの次には、
ご主人様がガンの宣告を受け、
自分も今度は、肺がんになったそうです。

彼女は、食事を根底から一気に変えることは、
それはそれで、危険であるともおっしゃっていました。

そして、心がどれだけ気持ちを持ち上げていられるか?
という大変面白いお話をされました。

それは、帯津 良一(おびつ りょういち)先生より当時、聞いたお話。

帯津先生は、がん患者さんを見ただけで、あぁ、この人は、あと何カ月、
とかわかってしまうそうです。
それが、だいたい合っていたそうなんです。
けれど、ある時期、病院の中で異変がおきたとのこと。
それは、あと何カ月、あの人は、たしか、、あれ?まだ生きている。。
その先生の感?をみごとに打ち消した時期があったそうです。

ドラマ「おしん」。

そのころの病院では、だれも亡くならなかったそうです。

今日の続き、明日はどうなるの?
で、その続きは?

そういう生きる希望が些細なことでも、
あるのとないのとでは、
生と死に分けてしまうんだなぁと
思いました。
こういうときのテレビの役割もすごいことだと
私は思いました。

心と身体のつながりを熱心に語って下さいました。




最後の3人目の先生は、女優でもある、
宮崎ますみ先生です。

彼女は、アメリカで暮らしていた時に、気功仲間として、
お二人目の山口先生と出会ったそうです。
そのころに、乳がんの話、彼女の話をたくさん聞いて
いたそうです。

そして、ご自身の乳がんが悪性と言われるときまでの経過の話しを
詳しくお話して下さいました。

そして、その宣告を受けた時に冷静に「あぁ、これだ。」と素直に
感じることができたそうです。
それまでの、潜在意識では分かっていた事、
顕在意識での周囲のガンにかかっていた人のお話などもあって、
すんなりと、受け入れることができたそうです。

そして、電話での宣告直後、
じゃぁ、どうして、今、この今に、聞く必要があったのか。
どうして、このタイミングなのか?
そう疑問に思って、
すぐに瞑想をしたそうです。

そうして、すぐに答えがそのとき見えたそうです。


それまでの彼女は、毎日瞑想をしていたのにもかかわらず、
肝心なことには、目を向けていない事実に
気がついた。

見えたのは、

しくしくと泣いている
膝をかかえて、ガタガタしている
小さな女の子

が見えたそうです。

「あっ、これだ。」

そんなふうに
インナーチャイルドと真剣に向き合い始めたそうです。

それまでは、女優生活も
アメリカでの生活も
子供の時に育った環境からの
抜け出せていないパターンだったそう。

自分の言いたいことを言わず、
大人や周囲に合わせた、言動。
何するにも、人に合わせていた結果なのだと
ご自身で気がつかれたそうです。

そして、
がんを克服して、生きている人に共通していること。

それは、
♡食事を変えている。
♡ガンに感謝している
♡何歳になっても人は変われる

「30歳になったら、あれしようとか、
40歳になったら、あれをしようとか思っているんだったら、
今、今、それをしてくださ~い!」

親がなんと言おうと、
周囲がなんと言おうと、
自分のやりたいこと、感じたことをしてください。

と最後におっしゃっていました。





こうして、3人の先生方のお話で共通してたこと。
それは、
乳がんになるなんて、えっ?私が?
そうやって、まさか私がなるなんて、と
そのなってしまった日から、乳がんについての情報探しにとてつもなく
時間をとるようです。

だったら、そのなってしまった人に少しでも情報共有したい、
情報交換したい、とそういう乳がんについての
いろんな角度からの情報を提供したいとのことでした。

もちろん、なる前にも女性としては、大変有効な情報だと
お話を伺った後だからこそ、私は、本当に
女性にとって、大切なことだなぁと感じました。


乳がんになったから、今、それまで以上の素敵な笑顔なのかな?とも
思いました。

私は、乳がんのトークショーを聞いて思ったのは、
日々、どれくらい、自分に自信を持って、
自分に正直で、自分に素直で、
その思ったことをどれくらい外に表現することが
できているかな?と思いました。

今、私は100あったら、たぶん、マイナス数値なイメージ感覚です。

会場で、宮崎先生とお写真を一緒に撮ってもらったあと、
「私も、自分の言いたいことが口から出せなくて。」
とお話してみたら、
「どんどん、口から吐き出してください。思ったことは、全部吐き出してくださいね。」


なんだか、勇気づけられました。


最後に宮崎先生がお話会で言われていたこと。

『なんの遠慮もいらない。
本当に自分で思ったことを話したときに、本当の調和が生まれる。
自分を愛することです。』

もし、自分を愛することの方法がわからない人は、
その原因は、過去に原因があるそうです。

そういうときは、遠慮なく、他の人に頼っていいんだなぁ、
と素直に思いました。


そして、瞑想の大切さ、
毎日を生き抜く自分を愛することの大切さ、
この地球上に生まれてきた自分の魂の意味を
自分の内側ときちんと向き合うことの大切さ、
今、この魂が存在できているこの自分の肉体、身体を愛することの大切さ。

自分が今、地球にいる意味


を3人の先生には共通した考えがおありでした。


まったく乳製品を使っていない、スイーツ♪
もちろん、砂糖も使っていません!
ガトーショコラには、八丁味噌も。
美味しかったです~♪


「今日のお話しを聞いて、まじめにレイキをやろうかなと思いました。」

たまに瞑想会で一緒の方が近くの席にいたので、
お声かけをしたら、
「私もそう思いました。一緒に頑張りましょうね!」
とおっしゃってくださいました。

うれしい。

彼女は、すでにレイキを取得しているけれど、
私は、これから。

『自分の思ったことで、
不可能なことはない』
と先日購入した本にも書いてあったし。

改めて思う。

幼少のころ、子供のころ、思春期の頃、
育った環境、家族関係。

すべて、その事が終わったから、はい、
それで、そのでき事は、
おしまい、

っていうわけではなく、

潜在意識は、
ずぅーーーぅっと、
持ちつづけている
過去のことを。


だからこそ、


それが
表面に出てきたときは、
温かい心で、
迎えようと思う。

いろんなことを。



本当にすばらしいお話会に参加させていただき、
ありがとうございました。


誘ってくださった、たつこさん、青木さん
ありがとうございました。

そして、
お話された先生方、
ありがとうございました。


すてきな時間、ありがとう!!